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【 竜胆小箱の囚われ姫 】



馬が疲れているようですが、道に迷われたのですか?
もうすぐ日が暮れ、この地の夜は冷え込みます
よろしければお休みになっていかれませんか

とても大きな方なのですね
小さな寺院なので少し狭いかもしれませんが
どうか、私と一緒に

右手を差し出す

影の主は無言で、表情は解らないが
『彼』もまた手を伸ばして――


 * * *


「んぅっ……」
「あれぇ? ……あっ! お姫様っ! 起きたの!? 寝たっきりで、もう起きないんじゃないかとか思ってたよ」
鞠の様に良く弾む声がすぐ近くで聞こえる。

「だいじょーぶ?」
重たいまぶたを開けると、子供のような表情の猫の顔が私の顔を覗き込んでいた。
「……?」

身体を起こし見渡す。この猫以外は部屋にはいないようだ。
猫はリボンのついた袖無しの服と短いズボン、そして印象的な靴下留め付きの靴下を身につけている。
どこか灰色みがかった薄い褐色の毛色。

「……声をかけてくれたのはもしかして貴方?」
「あれっ? もっと驚いてくれると思ったんだけどなぁ」
猫は少し不満そうな顔をした。
「まー無理もないか。怖くて痛くて酷い目にあったんだし、それに比べりゃ猫がしゃべっても、死体が踊ってもささいな事だよねー」
「怖くて痛くて酷い目……?」
「んー、なんでもないよ」

あたりを見回す。見たことのない部屋だ。
窓は付いておらず、明かりはランプに頼っているようだった。
部屋に香を焚いているのか、不思議な匂いがする。

「どうかした?」
猫は小首を傾げる。
「……何故ここにいるのかも、……貴方の事も、何も解らないのです」
「ここはリンドレク城の客室だよ」
現状を告げると猫はすぐに答を返してくれたが、それは私の知らない場所の名前だった。

私の国フォレストソイルでは、王家の娘は城の中のみでしか生活しない。
数少ない例外と言えば、私の様に婚礼前の花嫁修業に忍びで土着の信仰の寺院で過ごす位だろう。

「僕の名前はキットン・ソックス。僕のこと『キティ』って呼んでねー。僕はここの……専属の宮廷愚者、道化師だよ!」
猫は思い出したように、手中で丸めていた独特な帽子を被ってニッコリと笑ってみせた。
「……といっても今の仕事は可哀想な囚われのお姫様のお世話係だけど」
囚われ……?
「私は……ティト・ブルーです」
「ティト・ブルー姫かぁ。こう、修道着を着ているとあんまりお姫様って感じがしないなあ。せっかくお互いに名前を知ったのに、お姫様と呼び続けるのもタニンギョーギだし、ティトって呼ぶよ?  いいよね? まーよろしく!」

彼が右手を差し出す。

「はい。私も貴方のこと、ちゃんとキティって呼びますね。よろしくお願いし……あ、れ? 」
右手を差し出そうとしたが、手首から指の方が造り物の様に上手く動かない。
「手が変な感じ……」
「あれれぇ? 大丈夫?」

「失礼します……」
ノックの音がし、音と共に音がして誰かが入ってきた。
その人は顔全体が仮面と頭巾で覆われていて、不思議な白い装いをしている。

「あ、側近。いいトコに来た。お姫様、やっぱり右手動かないってさ」
「そうですか。霊薬には瞬時の治癒力はあったようですが、異常を伴ったまま、肉や骨が再生されてしまったようですね」
「その薬って、秘宝庫に一つしかなかった奴でしょ? 大事に保管し過ぎて、古くなって腐ってたんじゃないのー?」
「後生大事にしていたのは認めますが、あくまでもレプリカです。霊薬とはいえ模倣品なのでおおよその傷や病を治す効果程度だったのでしょう」
「どこが万能薬なんだか、最悪の事態にはならずに済んで良かったけどさ、色々と」

猫のキティが弾むような声をしているのに対して、仮面を付けた『側近』と呼ばれるその人は淡々とした口調をしている。
どこか風が通り抜けるような冷ややかな声だ。

「その様なことより、起きてしまわれたのですね。……仕方がないですがこの青い薬を飲んでもう一度眠ってください」
その人は、服から青い液体の入った瓶を取り出し私に手渡した。
「あの……? 起きたばかりなのに……ですか?」
「今しがたお医者様が来たところなのです。起きられていると色々面倒ですので」
彼の突然の申し出に戸惑って、どう答えていいのか解らない。

沈黙。

「……飲まないというのなら、無理矢理にでも。薬が嫌だと仰るのでしたら、痛みで暴れられないよう目隠しをし、身体を拘束しましょうか。 手負いの方なので不本意ですが」
「……っ!」
強迫めいた物言いに思わず後ずさる。
「もー、側近ったら脅かしてっ! お姫様が怯えたらどーするのさ! ねぇティト、僕が何でもしてあげるから、こんな共犯者放っておいていいよ」
私をかばうように、キティが彼との間に割って入り、立ちふさがった。

側近の人はキティを見て深く溜息を吐いた後に、私に顔を向けた。
「……今治療しなければ一生そのままです。信用のならない者からの薬を飲むのを躊躇する気持ちは解りますが、この薬には麻酔効果があるのです」
彼の表情は全く読み取る事が出来ず、無機質な口調のままであった。
「どうか、飲んでくださいませんか」
けれどその言葉は私のために言っているもののように聞こえた。
「……」
私は小さく頷くと彼の言葉に従い瓶の中の薬を飲んだ。
液体が喉に流れ込むとそれほど時間が経たない内に、立っていられなくなった。
「ねえ、側近……大丈夫なのこの薬?」
「……」

彼らが何かを話しているようだったが、私の意識はそのまま途切れていった……


 * * *


目が覚めた時には猫も、側近の人も部屋からいなくなっていた。

部屋の灯も眠ることに丁度良い位の明るさになっている。
夜中になってしまったのかもしれない。
眠っていたからなのか、目が冴えてしまっている。

廊下に通じているらしい扉は、戸締りでもしているのか開かない。
することもないため、しばらく部屋を眺めてみる。

不思議な匂いの香は眠っていた時も今現在も絶えず炊かれているようだった。
改めて見るとこの部屋は長年使用されていなかった場所のようで、不思議と生活感がない。
大きな水晶や宝石が静置されていたり、壁には珍しい模様の描かれた布織りの装飾が多く飾られている。
どうやらこれら装飾品は最近部屋に置かれたもののようで、埃は積もっていなかった。

そういえば。

毛布がわりに複雑な文様の描かれた厚手の織物を身体に巻いていたのを思い出す。
「この模様はどういう意味かしら……異国の文字とも違うみたい……」
そんなことを考えていると、部屋の外から何か音が聞こえた。
「……?」
どことなく不安になるような大きなものが這うような、ズルズルと何かを引きずるような音だった。
その音はこの部屋に近づいてきているようだ。

隠れなければ

無意識にその言葉が頭をよぎる。何故そう思ったのか自分でも解らなかった。
織り布を被り、部屋の物陰に急いで隠れる。

カチャりと鍵の開く音がした。
こっそりと様子を伺う。

引きずる音と共に、真っ黒で大きな影を彷彿させる、
『人と異なるモノ』が戸を開け中に入ってきた。

脚を持っておらず、身体を這わせることにより移動するようだ。
部屋に入り戸を閉めると、彼は堅牢なカギで慎重に錠をした。

鱗の付いた手

あの影の主は……

見慣れぬ漆黒の大馬車。

気になって声を掛け中から現れた巨大な姿。

彼は友好を示す挨拶の最中に突如
私の右手を潰し、逃れようとする私の腕を抜き、
身体を締め上げて呼吸を止めさせた――

「……っ!!!」

彼を見て今まで飛んでいた記憶、
無意識に忘れたいと願ったであろう光景を思い出してしまった。

そしてその事を自覚すると、恐怖心が一瞬で芽吹いた。
恐ろしさで身体が硬直する。

彼は首を動かし、視線を部屋の色々な場所に向けている。
恐らく私を探しているのだ。

彼に見つかったら
今度こそは本当に死んでしまうだろう。

カタンッ

「あっ……」

思わず後ろに下がった時に床上の水晶を転がしてしまったのだろう。
彼と視線が合うと同時に、紫色の眼が光る。

彼は無言で私に近づいてきた。
身体が震える。

「ひぃッ……! た、助けて……誰か助けて……」
現実を逃れるように目をぎゅっとつむり頭を庇う。

「……っ!!」

死を覚悟したが、痛みは襲ってこない。

「あ……れ?」

彼は何事も無かったように身体を引きずり戸の所まで行くと、入ってきた時と同様に鍵を開け外に出て鍵をかけ出て行った。

痛い目に合わなかった事にに安堵する。
背中が酷く汗をかいたためかひんやりしている。

『可哀想な囚われのお姫様』

猫の言葉が頭に浮かぶ。

自身の境遇に気付いてしまった。
そして大変な所に来てしまったのだと悟った。


 * * *


「ねーティト、元気ないね」

私は昨日の出来事を思い出してしまって不安になり、キティが食事を出してくれているのに、手を付けることが出来ないでいる。

「あの、キティ、聞いていい?まるで物語に出てきそうな……真っ黒の大きな……」
あの時の痛みを思い出すと背筋が凍り、それから先の言葉が出てこない。
「あー、会っちゃったのかぁ。どうりで様子が変だと思った」
震える私を見てキティは何かを察したようだ。
「この城の主、魔王リンドヴルムだよ。魔王っていうのは他国でいうところの国王だね。魔国リンドレクの最高権力者ですっごく強いの。割と温厚な竜だと思っていたから、今回の事は僕びっくりしちゃった。ヒトってやっぱり見かけ通りなんだね」

「私は……さらわれたの?」
「……うん というか、いまさら?」
キティが複雑な顔をしてこちらを見ている。
「ごめんなさい、何も知らなくて、それに記憶が飛んでいて……」
「どうりで最初あった時に妙に肝が座っていた訳だ。この魔国リンドレクは邪国とか呪われた土地と呼ばれて忌み嫌われている場所だから、温室育ちのティトには国名として耳に入らなかったのかもね」
「……」

「ねーティト、僕はティトの味方だからね?」
「……ありがとう、キティ」
「それにしてもこの鳥の餌の出来損ないみたいな食事じゃやっぱ、味気ないよねー? さっきからご飯食べてないよ? もし、生活の事で困ったことがあればどんどん言ってね側近とか魔王とかその辺疎いし」
「キティ、あの……さっそくなので申し訳ないのですが、……スプーンを頂けるかしら」
「あー。……ごめん、普段全く使わないもんだから。この城のどっかにあるかな? 探してくるね」

キティは足早に戸を開け出て行った。

「キットンさん! カギ、カギっ! 良いですか、部屋を出るときは鍵を必ず付けるのですよ」
「あー、はいはい」

戸の外でキティと男性の声がする。
キティと入れ替わりに側近の人が部屋に入ってきて戸を締めて鍵をかけた。
「昨晩は魔王様が貴方を怯えさせてしまい、申し訳ございません……昨日のご様子から大丈夫だと判断した私のせいです。重ね重ねすみません。……貴方を殺めかけたのも魔王様ですが、貴方の命をすんでのところで助けたのも魔王様です。どうかその事を心に留めておいてください、無理を承知で申し訳ございません」
「……」

「ところで、話は代わりますが姫様は教会で嫁入り前の修道生活を送られていらっしゃったのではないですか」
「……はい、王家の規則なんです」
「体裁のため姫がいなくなった事を隠しているのでしょう、今の所は他国に何の通達も届いていません。しかし、隠し通す事ができるのも時間の問題、発覚すれば貴国の立場が悪くなります……それはこの国も同じこと。貴方の誘拐が発覚すれば、それも魔王様の所業ともなれば、この国は全ての国から糾弾と制裁を受け下手をすれば、争いとなり多くの血が流れるかもしれません」
「……」

「私の立場ではお約束する事は出来ませんが、問題が大きくならないよう貴国が不利益にならない様に出来る範囲で善処しましょう」
「……っ!! 帰してくれるのですかっ! ありがとうございます!」
「……」
「まだ公にはしていませんが、私とホーグランドの現国王との結婚は近辺の国とのパイプを繋ぐ重要なものであるとお聞きしています」
「……フォレストソイルは小国、多くの領地の間に位置する国。有事ともなればすぐに焦土となってしまう場所……富の国ホーグランド……」
「どうかされましたか?」
「いえ、なんでもありません。……まあ、今の所はその手の傷が癒えるように養生しましょう。危険ですのでくれぐれも扉には近づかないでください」

彼は一礼をすると戸外へと移動し扉の鍵音を鳴らして去っていた。



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