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【 選択6[鳥が見た夢] 】



ある夜、私は夢路にたどり着けずにいた。
もう見慣れてしまった、高い天井を見上げる。
いつもなら眠りを誘う静寂さが、今は酷く寂しく感じる。

安息の場所であるはずのベッドの温もりに身の向きを変え委ね直し、毛布を抱えて背を丸め。
そうしている内に微睡みの尾に触れ手繰り寄せると、その安堵の中眠りの淵へと落ちていった……

そして私は久しぶりに夢を見た――


   ①悲しみに溺れそうな夢
   ②楽しく暖かな夢
   ③懐かしく寂しい夢



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【 悲しみに溺れそうな夢 】

その夢は悲しみに溺れそうな夢だった。
大きな黒い影の主が泣いている夢。
姿は見えぬが、瞳が溶け落ちてしまうのではないかと懸念するほど涙を溢れさせ。
音は聞こえぬが、喉から血が出るほど、枯れ果ててしまってもなお慟哭し。

心が酷く締め付けられる様なその姿に、動悸と焦燥を覚え、思わず飛び起きた。

慌てて辺りを見回すと就寝前と変わらぬ静寂と闇で覆われていた。
まだ。おそらく。夜は明けていない。

汗が滲んでいた背中に心地悪さを感じながら、呼吸を整える。
何となく部屋の入り口方向を目を向けると、扉近くの闇に影が揺らめいた様な気がした。
暗闇に眼を凝らすと確かにそこに奇妙な靄のような黒い影が在った。

「……リンド…ヴルム…魔王……ですか?」

影に向かって囁く様に声をかける。
魔王は影纏いの外套、影のマントを羽織って影に姿を隠す事が出来る――と、キットン・ソックスがいつの日か教えてくれた。

動揺したように影が揺らぐ。
長い沈黙。
観念したのか、魔王は影の靄から闇に溶けるように艶めく身体を現した。

「ティト……」
「どうしてこの様な……?」
「我は人の様に長くは眠らぬが、その短い眠りの中で、汝が死ぬ夢を見た……徐々に熱を失う汝を」
「……」
「一瞥し立ち去ろうと思ったが、うなされている汝を見て退く時機を失した」

「我は人間の俗習には詳しくは無いが、 不作法で非礼極まりない振舞いを行った事は理解しておる。もうこの様な無様な真似はせぬ」
衝動的な不安に駆られ安息すら奪いかねない事をした……と。
そう言い残すと、リンドヴルムは逃げるように立ち去った。

そんな彼の背を見ると。
恐れが全くない訳では無かったが、当初に比べ彼の事を恐ろしく感じなかった。


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【 楽しく暖かな夢 】


その夢は楽しく暖かな夢だった。
豊かな色彩の空間に、色取り取りの光が溢れていた。
心が弾むような軽快でリズミカルな音楽が鳴り響いていた。

そういう夢はどこかから溢れてしまうのか、目が覚めた時には内容は詳細に思い出せなかった。
唯々儚い楽しい夢がそこに在ったという記憶だけが残った。
目覚めが良かったせいか、寝つきの悪さが嘘の様に身体が軽い。
着替えて身支度をすると、軽く伸びをした。

そうしている内に、トタトタという足音が扉の向うから聞こえ、長い時間鍵音がしたかと思うと……
扉が勢いよく開いて、音を立てて道化装束のキットン・ソックスが転がり込んできた。

「キュートなアイドル、道化師キティ登場っ! ……って感じだねっ……イテテ……!」
「大丈夫っ!? どうしたの?その格好……?」

風変わりな黄色い道化師の帽子に、独特な黄色い服に身を包んだキティはペコリと挨拶をした。
「こう、可哀想なお姫様への慰めになるかなーなんて、ほんの気まぐれ」
彼はおどけた調子でニコニコと笑うと、服で覆われた手をヒラヒラとなびかせた。
「結構印象変わるでしょ、僕? どう?可愛い?」
「とても賑やかで、良いと思うわ」

「外国の響宴とか交渉とか商議で招かれる時あるでしょ。そーいう時に緩衝材で連れて行かれるの。魔王達だけじゃホラーパーティーになっちゃうし、別に好き好んで相手も呼んでる訳じゃないからね」
キティが気をよくしたのか、部屋を歩きながら矢継ぎ早に語りだした。
「良く考えてみると、いつもこの部屋じゃ世話焼きだからこの服着てないなーって。で、ティトに見てもらおうと思って!」
くるりと大げさに身体の向きを変えると、こちらに向かって歩いてきた。
「この『愚者の服』じゃ、手の所こんなのだから、さっきだって入るの苦労したんだ。脱ぐにも苦労するけどね」
たしかに彼の服の手の部分は厚い布地で覆われていた。

「パーティーのお食事とかは?」
「基本、おあずけ。あ、どうしても食べたいのは誰も欲しがらないように汚しちゃうよ? それでパーティのお肉料理を片っ端から落っことして独り占めしたもの! その時はその様子が受けて、いい感じに交渉がまとまったらしいけれどね」
「……床に落としてしまうの?」
「うん。で、犬食い。それがまた貴族に受けるんだ。まさにバカウケ!」
「……」
「ポップな人気者じゃなくて……可哀想なピエロ。笑い物の見世物の緩衝材の役割」
彼はニコニコとした顔をしている。
「どうして?」
「ティトは楽しくない? 自分より矮小なものを見るのって」
「キティは……利口な猫獣人だと思うわ? 私の知らないことを沢山知っているし、それに何でも出来る」
「……」
猫は私の顔を見上げると困ったような不思議な表情をした。
「……ありがと。何だかティトといると調子狂っちゃうなー、僕」

「まー、いーや。あらためてっ! 今からティトのためにとっておきの曲芸をするから、うまくいったら、拍手だよ。何だったらチューなんてしてくれても、ティトなら良いよ?」
「チュウ?」
「じゃ、見ていてね――」


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【 懐かしく寂しい夢 】


セピア色の昔の夢だった。故郷の夢。
窓際に佇み窓の外を遠巻きに眺めている。
ただ風が吹いていて、樹々の葉が靡いている。
冬の訪れが遠くないと感じさせるような秋の風景。
ただ、それだけの、懐かしくて切ない夢。

長引く軟禁で心体が弱っていた時に、里心が出てしまったせいなのか、私は翌日体調を崩した。

熱に浮かされ、何度か白昼夢とも夢とも似つかないものを見たが。
脳裏には何も映らず、ただただ仄暗い瞼の中の世界が広がるだけだった。

頬を優しく肉の薄い骨ばった手が触れた気がする。
熱でぬるくなった手拭が額から離れたかと思うと、冷水で絞った新しいものに交換される。
冷やりとして、冷たくて気持いい……。

「……ん」
「風邪を召してしまった様ですね」
落ち着いた声が聞こえた。

「疫病を連れ込まないよう出入りには細心の注意していたのですが……。姫様がお休みになっていられる間にお医者様は帰宅いたしました」
ぼんやりとまぶたを開け、ゆるく横に首を傾けると見慣れた男の影が見えた。
「今日は安静にご養生なさって下さい……キットンは騒がしくするので、今日は暇を出しています」

「そっきん……さん?」
呼ばれた仮面の男はベットの側に寄ると、姿勢を低くして目線を合わせた。
「どうなされましたか?」
「いえ、呼んだだけです……すみません」
「貴方が謝る必要はありません、……謝らねばならないのは私自身の罪業です」
側近を見つめると、彼は少し顔を伏せ背けた。

「負担をかけてしまっていたのですね。……いえ、私は理解していました。その上で貴方を蔑ろにして負担を強いてしまった」
彼は少し言い淀んだ後、言葉を紡いだ。
「自体の発覚を恐れて、国家の混乱や戦乱を恐れて、制限をかけて、不健康な真似を。管理を任されている私が臆病であるばかりに。時には和平のためいっそのこと貴方を……。いえ。今は止しましょう。恐ろしいほど貴方を犠牲にして不幸にしてしまっていました。今後はもう少し、貴方が健やかに過ごせるように環境を整えられるように善処……いえ、いたします。本当に申し訳ございません」

「もうすぐ済みますので……その様な不徳義な私が部屋に居ることを許してください」
「……そっきん……さん」
「……」
「心寂しい……ので、もう少しいて、下さい……」
「……」
「だめですか……?」
「……ええ、構いません」
彼は私のまぶたが重くなり、再び眠りにつくまで側にいてくれた。



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