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【 選択5[服を選んで] 】



「ねぇ、ティト、湯加減どう?」
「ええ、とても丁度いいみたい」

薬湯を張った暖かな浴槽に浸かっていると、浴室の外からキットン・ソックスの高めの声が響く。

本来客室であるこの部屋に一角に浴室は存在していた。
しかしながら積み重なった月日の内に風化し使用できぬ状態となっていた。
整備されたのはここ数日の事であり、それまで私は清拭や行水で肌の衛生を保っていたのだった。

「お湯を沸かす魔道具を側近が寄越してくれたんだ」
「世界には便利なものがあるのね」
「あの人じゃ気が利かないから、魔王からの差し入れじゃないかな?」

薬草を入れた刺激の少ないやわらかな湯は私の身体を温める。
人が触って温かいと感じる水に身体を委ねたというのはどの位久しぶりだろう。
寺院でも沐浴はしていたが、冷水で洗い清めていた。
暖かくて……気持ち良い。思わず足先を伸ばす。

湯を掌ですくい上げると、水は淡く草色を帯びているが透明感があり、清浄という言葉そのものだ。

「いちおう言っておくけど、ここの水は飲まないほうがいいからね?」
「……えっ」
「瘴気だよ、しょーき。ここに繋げてきた水も浄化してるだろうけど、万が一もあるし! ……別に覗いてて忠告した訳じゃないからね、僕」
「……うん?」

十分に温まって火照った身体を拭き、薄手の服を羽織ると浴室から出た。
キティがこちらを見て目を丸くし、困惑した様子で目を泳がせると、俯く。

「……! やっぱちゃんとした替えの服がいるよねっ!!」
「どうしたのキティ? 急に」
「い、今とか、服洗濯してて、てきとーな肌着きてもらっているけれどさっ! 着たい服あったら伝えとくよ!」


   ①城で着ていた服装
   ②軽快な服装
   ③今の服のままで大丈夫



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【 城で着ていた服装 】

「こういう時って普段着ていた服装を伝えた方がいいのかしら?」
「そーなんじゃない? お姫様の普段着って言ったら、やっぱり貴族が着てるよーなドレス?」
「寺院で過ごす前は、そうだったかも」
「へぇ。まぁ、とりあえず参考に伝えに行ってくるよ」


 * * *


数日も経たない内に、側近と猫の手によって替えの衣類が部屋に届けられた。
色とりどりのドレス。上半身から脚部までを被うおそらくフォーマルな型のものであろう。
しかも何十着も……ある。

「うわぁ……」
キティが凄く複雑な表情を浮かべている。
「ここまで露骨にモノで釣っちゃうんだ……」
「こんなに一杯……良かったのでしょうか?」
「予算……」
想定外だったのか側近も筆舌に尽くしがたい雰囲気を漂わせている様な気がする。

「凄いフリフリのやつばっか! 魔王の趣味だとしたらとんでもないよね」
「趣味……こういう感じのものが好きなのかしら?」
「魔王様の嗜好については、私の口からはなんとも申し上げられません」
「 まあ、いいや。せっかくだし着てみたら?」


 * * *


「リンドヴルム魔王……?」

部屋に訪れ、部屋の中から鍵を掛けた魔王。
そこまでは何時もの事であった。
その彼が淡黄色のロングドレスを纏った私の方へ目を向けた途端動きが止まり、そのまままじまじと私を見据えた。

淡い紫色の瞳。
巨体の竜が自身を見下ろす視線に攻撃的な雰囲気は感じなかった、が。
微動だにせず無言で佇む魔王に困惑し、堪らず私は伺うように見上げ声を掛けたのだった。

「汝に似合っている……忘我の境に入るほどな」
何度か彼の名前を呼ぶと、魔王は沈黙を破り感嘆が混じった声を漏らした。

「上等な代物を精選したつもりだが、汝が着るとより煌びやかで、品良く見える……まるで蒼闇のに浮かぶ月のようであるな」
魔王の言うとおり、この黄白色の衣装は丹念に織られた厚手の生地の上に何層もフリルが折り重なっており、繊細な技法の装飾が施されているものだった。

「特に我はこの金糸の刺繍が気に入っている」
魔王は、興味を掻き立てられたのか無意識に触れようとしたのだろう。
月に手を伸ばす子供を彷彿させる様な緩慢な動作であったというのに、自身に向かってきた竜の鍵爪にとっさに身体を強ばらせてしまう。
「……すみません」
「……」
私の怯えを感じ取ったらしいリンドヴルムは、彼自身の手を見遣ると下ろした。

「……今宵はその出で立ちで微睡むのか?」
「流石に寝るときは脱ぎますよ……?」

重厚な作りをしているだけあり重い素材で、機能的に作られている修道着と比較すると、行動を制限しそうだ。日常での常用は少々難しいだろう。
それをそれとなく伝えると、そうか。思慮が足りなかった……と、魔王は事無げに言った。

「あ、寝るときの着替え……」
「……何?」
「どうしよう……。今日も着替える時に、一人では片手で厳しいので手伝って頂いて……」
「……」
「リンドヴルム魔王?」
魔王は深い溝を思わせる目をすっと細めた。
「あの?」
「猫か? ……それとも、あの男か?」
「あっ……。でも、そんな大層な手伝いは……」
「それは色々と……我の思慮が足りなかった、な」
押し殺したような低い声で彼は呟いたのだった。


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【 軽快な服装 】


「出来れば動きやすい服の方が嬉しいかもしれないわ」
「あっ! だよね! わかるっ! いつもの服じゃ全身覆っちゃって、とっても窮屈そうだもん!」
「そ、そこまで修道着は動きにくくは……」
「もっと開放的な奴がいいよねっ! ていっても、今みたいなちょっと見えてるのじゃなくて……お洒落な奴! 今すぐ伝えに行ってくるねっ!」


 * * *


数日も経たない内に、側近と猫の手によって替えの衣類が部屋に届けられた。
「この服ね、お抱えの行商さんが出城に来たときに買ったの」
「大変信頼の置ける口の堅い行商人を呼んでおります……何やら良からぬ噂が経つといけませんですし」
「うわさって……立ったとしてもホントウの事じゃん」
「……」

「そうそう、僕も一緒に選んだんだっ!」
キティが得意気に言った。
「これ! 海沿いの街の流行りの舶来モノ。凄く気に入ってるんだ! 良かったら着てみてよ!」
 

 * * *


「ふふんっ! これでティトもハイカラで活動的な港の町娘っ!お洒落でしょ?」

猫に促されるように着替えた服装は、服装は半袖の薄手のブラウスとキュロットスカートだった。
対照的な色から構成された縞模様となるよう織られた生地。
晴天の空を彷彿するような色合いを主流としているようだ。
空の様だと伝えると、キティは、港の浅瀬のイメージと訂正して答えた。
「海って知ってる?何か喉が渇く水が信じられないほどいっぱいある池みたいなものだってさ」

「たぶん工場製の服で特別な感じって訳じゃないけど、イイでしょ、この気心地っ!」
猫の言うとおり、この水色の衣は、軽装な服だった。
町人を見た事がないが、彼らはこの様な格好を好んでしているのかもしれない。

キティがにこにことした顔でこちらを見上げ、眺めている。
「こうして見るとティトってお姫様じゃなく見えるね、……普段もあんまりそう見えないけどさ。貴族とか王族とかツマラナイよ、別に下が良いって訳じゃないけど。フツーが一番、フツーが」
いつもより饒舌に声を弾ませる。
「僕って、掃除とかするからティトの前ではあまり着てないけど、享宴の席ではいつも道化の愚者の格好をするんだ。それがまたキュークツで酷いのなんのって……。だからティトには動きやすい格好してもらいたかったんだ」

身体を動かしてみる。本当に軽くて動きやすい。
伸縮に優れていて、それに通気性もありそうだ。
通気性……。

「どうかした?」
「この格好風通しが良くて……少し寒いかも」
「え゙っ!? デザインで遊び過ぎちゃったかな?」
「あ、でも白タイツを履けばいいんじゃないかしら?」
「うーん。タイツと似合わない服かも。失敗した……」
キティが頭を抱えている。
「ちょっと普段着にするには問題あるから、また買って貰える時にティトのために丁度いいの選ぶよ」
「ごめんね、キティ。せっかく良い服を選んで下さったのに」
「……。でも。僕この服好きだなー。いつか一緒にティトと一緒に外を歩いてみたいな。海沿いの町みたいな所で……!」

「だれも僕らをお姫様と道化の猫だと思わなくて……」
どこか遠い所を見つめるような眼で夢見る様に、キットン・ソックスは呟いた。


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【 今の服のままで大丈夫 】


「特には思いつかないかも。それに洗った服が服が乾くまで、毛布の中で待っていれば良いから無くても大丈夫よ?」
「ティトは欲がないんだね? ……今の状況って僕にはちょっと困るんだけどなー。目のやり場に困るというか」
「困る?」
「あー。うん、何でもないよ。まあ適当に見繕ってもらって買ってもらう」

「というか、あの人、下着の替えとかどんな顔して買ったんだろうね?」
「……?」
「 あ、こっちの話。ティトは気にしないで」


 * * *


数日も経たない内に、側近と猫の手によって替えの衣類が部屋に届けられた。

「それにしてもこの服、なんかもう、替えの服ですって感じの服だね、センス無い」
「……それは悪うございましたね」
「そもそも今の今まで、まともに服を用意してなかったというのが、おかしな話で」
「予算というものがありますから、あまり勝手な真似事は出来ません、今でも存在が知られぬよう文書の改竄が大変なのですから」
「お大臣や貴族に内緒事出来る気の置ける存在がいないっつーのも、色々問題ありだよ、あのドラゴン」
「……」
「僕から見ると、側近が魔王に懐いているのも割と謎なんだけど」
「……さっきから何なのですか、貴方は!」
「側近への嫌味」
「キットンさん……いえ、キットン・ソックス、貴方って猫は……!」
「だってさ、こう思惑どーりに事を済まそうとするのって気に食わないじゃん」
「……」


 * * *


「その修道着は宜しいですよね、清貧で貞潔で敬虔で……」
「あ、側近さん」
何時もの様に医者の来る前の側近の訪問。
珍しく、側近の側から声をかけられた。

「着替えは用意して頂いたのですが、やっぱりこの服が私にはしっくりくるみたいです」
「ええ、姫様に大変似合っていますよ」
「嬉しいです」

その言葉に気をよくした私は、少しおどけた様子でスカートの端を持って、畏まった信仰に纏わる伝統的挨拶を側近にしてみせた。
「お戯れを。私の様な者にその様な……」
そう言いながらも、彼も跪きを私に向け挨拶を返してくれた。
おそらく同じように冗談めかしながらだったのかも知れないが、丁寧な最敬礼だった。

「ふふ。私、寺院のシスターに修道士に向いているって良く言われました」
「存じております」
「……」
「もしも貴方が姫君ではなく、町娘に生まれていたら……きっと姫様は立派な修道士として、一生を穏やかに人々の幸福のため祈りを捧げて過ごしていた事でしょう」
「でも……それは、私には叶わなくて」
王の娘は和平のために国外に嫁ぎ身を捧げなければならない――
「……」
「貴方は常に世について案じてらっしゃるのですね……時に自己犠牲を伴って……」
彼特有の抑揚の無い冷たい声だったが、その言葉には情が含まれているように感じた。



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