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【 魔王ルート1[時は遡る] 】



時は遡る――


* * *


富国ホーグランドの絢爛豪華な謁見の間。
恰幅の良い概ね四五十代程の人間の男と、澱みの様な影が言い争っていた。
声を張り上げるような事こそ無かったが、その場にある種の緊張があるのは誰の目からみても明らかであった。
脇に佇む近衛兵が纏ったヘルムの中で顔を強ばらせ固唾を呑む中、その「話し合い」は行われていた。

「……はっはっはっ! 『魔王様』ともあろう方が直々に直訴に来るから何の重大な話かと思いきや、要するに農作物を安価で提供しろという話ですな」

物々しい雰囲気の中、玉座に座った男は重苦しい場を払拭するような余裕のある声を発した。
その恰幅の良い男――ホーグランドの現国王は、漆黒の闇を思わせる黒い影の主を魔王と呼んだ。
影の中には『影纏いの外套』を羽織った魔国リンドレクの魔王――黒竜リンドヴルムがその姿を隠すように潜んでいた。

「……とはいえ、良い品には良い価格が付くもの。今年はトウモロコシの出来栄えが大変良いとの話で、価格が上がるのは当然の事ですぞ!」

そう嗤いながら臣僕を呼ぶと件の作物を持ってこさせ、影の足元に放った。
ビロードの絨毯の上を黄金色のトウモロコシが音を立てず転がり、止まる。
揺らめく闇に隠れたリンドヴルムの竜胆色の薄紫の瞳が人知れず怒りを纏い、目の前の王を睨んだ。

「竜である我の目から見ても、この汝の国の蜀黍は確かに高品質と見受けられる。だが、本来豊作時の価格は下がるもの。それに我の所で主に取引される品種は本来家畜用の飼料で、間違っても1ブッシェルに対し報告で挙がった様な量の魔石との取引は起こりえぬ。そうであろう? ホーグランド国王陛下」
「自給率が低い魔国リンドレクとみて、不正に取引必要量を釣り上げたとしか考えられませんね」
白い衣装に身を包んだ魔王の側近の仮面の男が主の言葉に便乗する。

「我が国ホーグランド国は生まれ持っての富の豊作の国。故に生産調整を行っていてね、同じ作物ならば家畜相手よりも人間に高く売れる高級品へと鞍替えしたのでしょうな。それに我が国の家畜の数が増加傾向でこの所需要が向上しているそうだとか、一部は近年の我が国家の工業化に伴い工業作物と利用しているとも聞いてますな」
「それでもまだ説明がつかぬ……実の所この件は蜀黍だけではなく他の作物でも発生している」
「まあそうだとしても、価格の引き上げも一部の商人がやった事、我が国家には関係がない事だ」

「……安価な魔石には安価な代物なりの理由もある。裏であまりにも不平等を働くと、いつの日かこの地も魔国の様な不毛の地に変わるやも知れぬ」
魔王は唸るように先程よりも更に低い声を発した。
「それは脅しかね? リンドヴルム魔王?」
「最近汝と密かにつるんでいると噂だが、魔国の宰相のレドラは一筋縄ではいかない赤竜。強欲で残虐な竜の性質を色濃く持つ。下手に結託するとうん百年先でしっぺ返しを喰らうぞ? 只の世話焼きな我の忠告だ。汝と同じ人間の、赤い血の流れる民に苦役を強いる事になる」
「……まあ、魔王様にこう所望されれば動かぬ訳にはいかないな。商人共にはワシからもキツく言っておこう」
「感謝する」

「魔王様、そろそろお時間です。これ以上留まると御帰城も遅くなります」
「そうか」
「それに。……魔王様がこの様に不愉快な場にいる必要は在りません」
「……」
周囲から感じる猜疑や嫌悪の混じった冷たい冷やかな視線。
忠誠心の高い仮面の男には、主君が招かれざる存在として扱われる事に耐えられなくなったのだろう。
「さあ帰りましょう、魔王様」
姿も朧な状態でリンドヴルムは無言のままであったが、長年魔王の横で佇む従者は主の思考を熟知している様であった。

この場を去ろうと歩みかけた影の魔王と従者に、背後でホーグランド王が呼び止めた。

「そうそう、今度新しい小鳥を飼う事になってね」
「……鳥?」
魔王は立ち止まり振り返った。

「蒼い、若く美しい従順な、そんな生き物を秘密裏に飼う、中々高尚な趣味だと思わんかね?」
「……異国の珍しい鳥でも飼うのか?」
「異国の禁鳥ねぇ。まあ、そんなところですな」
含んだニュアンスを汲み取れなかったらしい魔王の回答を王は鼻で笑った。

「弱く、器用でなく、ひとりでは生きていけない――閉じ込めておくのに丁度良い青い小鳥を」

黒竜は微かに眉間に皺を寄せたが、鱗に覆われた表情では仮に影を纏っておらずとも、目前の男に届くかは怪しいものだっただろう。

魔王達が完全に立ち去さってしまうとホーグランドの王は呟いた。
「姿さえまともに人に見せられぬ、出来損ないの醜い『リンドワーム』め――」
忌々しいものを見たと、吐き捨てる様に。


* * *


日没に差し掛かりつつある時刻であるようだった。
側近の男が止まった馬車の辺りを慎重に見渡すと、踵を返し漆黒の巨大な馬車の中に戻った。

「完全に賊を巻いたようですが、警戒した方が宜しいでしょう。術で座標確認した所、フォレストソイルまで抜けているようです」
「そうか」
「この周辺は若い林道を挟んだ所に険しい崖と、丘の方に古い造りの……寺院があるようです」

魔王を乗せた大馬車と四騎の護兵はホーグランド国からリンドレク城への帰路を急ぐ中、雑木林で馬に騎乗した賊の集団に奇襲された。
返り討ちにする事も可能だった。しかし、忍びの訪問中ホーグランド国王の管轄である領域で騒ぎを起せば厄介事になるのは目に見えていた。
相手にする必要はないと魔王達は判断し逃れてきたのであった。
――終いには執拗な追跡を行う追手に向け重力増加術を放ち、急激な負担で彼らの馬の脚を折って。

「ご覧下さい。この様なものが幾本も。馬体が無事であったのは幸いでしたが」
「……竜討ち矢か。只の賊が持っているのには奇妙な代物。かの王の息のかかった輩かも知れぬな。我がその様な安易な挑発に焚きつけられるはずがなかろう」
「こちらが迂闊に手を出せずとみた嫌がらせが目的でしょう。全く」

魔王の大馬車は巨大な風体からは考えられぬほどの速度を誇る。
魔国固有の悪夢を模した様な異形の強靭な駿馬で固めた事もさる事ながら、魔王自らがかけている冥術の重量減少がそれを可能としていた。
しかしながら、今回の逃走劇で追い回された馬車馬達は疲労の色を覗かせているようであった。

「先ほどこの場に保護術をかけました。これで敵意のあるものには見つからないでしょう。空間転移の魔方陣も準備しています」
「……止めておこう。この規模での長距離の転移では我の魔力を付与しても、汝に負担がかかるだろう」
「一先ず休息を行い、馬を癒してから思索しましょうか。護兵とも離れ離れになってしまいましたし」
「ああ」
「護兵の中には若い人間の兵もいました。合流できずとも、せめて国まで無事辿りついてくれれば良いのですが……」
側近の男は珍しく心配するような様相で言葉を濁し顔を下に向けた。
魔王は言葉を黙止し狭い空間の中で身体を小さく丸めた。沈黙が流れる。

躍動した脈が常脈に戻るかのように、静寂のうちに大馬車の中の緊張は幾らか弛緩しつつあった――


「あの、どうなされましたか?」


突然、戸の向こうで声がした。
ぎょっとした様相で魔王と側近が硬直した。

「馬が大変に疲れているようですが、道に迷われたのですか?」

柔和な若い女の声であった。一滴の悪意の濁りも無さそうな。
魔王は思い起こした――空間保護の秘術は敵意のあるものを避ける障壁であると本人から伝え聞いた事がある。
合点が行った魔王は術を仕掛けた従者に視線だけ向けた。気付いた側近は気まずそうに顔を下に向けた。
仮面装束の男の表情がもしも理解できたのなら相当バツの悪そうな顔を浮かべているだろう。

「もうすぐ日が暮れ、この地の夜は冷え込みます。よろしければお休みになっていかれませんか」

穏やかで、優しい声だった。
その様な 温かみのある声を、嫌悪の対象である魔王は掛けてもらった事などが一度たりともあっただろうか。

「お待ちください、確認を。特徴のある髪色。宗教の意味合いの強い装いに……ブローチ?……でしょうか。一介の修道女だとは思いますが……慣習柄、高貴な家柄の娘である可能性もあるかもしれませんね」

魔王の鎮座する位置からでは入る情報は少なかったが、隠し窓を覗き込むような真似は誇り高き竜には出来なかった。

「降りて彼女にこの場から直ちに立ち去るよう伝えて来ます」
「我が出よう」
「……!? 魔王様っ!?」

しかしながら、黒竜のその優しい声の主への関心は耐え難いものだった。
己自身の好奇心を抑えるには、この竜は若すぎたのだった。

頑丈な扉のノブに鍵爪の付いた手をかけた。
「影を纏わずにお姿を見せる気ですか」
「追い払えば良いのであろう?我が姿を見せたとて何の問題もあるまい」
「しかし……」

魔王は漆黒の馬車の扉を開いた。
鈍く光る淡い薄紫色の眼で辺りを一瞥すると声の主の姿を見据えた。

豊かな青い髪の――蒼い瞳を持つ人間の女だった。
一般的に竜は人間の齢に明るく無い。
ひょっとしたら少女と言っても差支えが無い年齢なのかもしれない。

慈愛に満ちた深い青の目の色。

彼女は地味な色合いの装束に包まれているにも関わらず、吸い寄せられるかのように竜の眼を捉えて離さなかった。

黒竜リンドヴルムの姿を見た修道女の瞳は一瞬大きく見開き、驚きとも怯えともつかない表情が浮かんだ。
醜い竜の姿を見てにこのまま逃げ去ってしまうだろうと魔王は考え、内心そんな自分を自虐的に一笑した。

「――とても大きな方なのですね」

息を飲む様に一呼吸おいた後、女は感心したような感嘆の声をあげた。
けっして竜として不具である本当の姿である魔王を嘲けたり、嫌悪を向ける様子は無かった。
思惑が外れ、竜は少々困惑した。

「小さな寺院なので少し狭いかもしれませんが、どうか、私と一緒に」
そういうと蒼色の娘は微笑みを湛え、しなやかな右手を差し出した。

「……」
差し出された友好の手。

それはこの黒竜にとって初めての無条件で好意的な反応だった。

だからこそ、魔王は差し出された彼女の無垢な右手を握った。
彼女の掌は温かな血が通っていて――儚いほど柔らかだった。

人の弱さを知り得ぬ竜が己の力で造作無く圧砕してしまうほどに――

リンドヴルムは他者の肌に一度たりとも触れた触れられた事のない存在の竜であった。

硝子片状の鱗で覆われた手で手を握られた女は、押し殺したような呻きと共に表情が苦痛に歪ませた。
潰れた手を取り出そうと、引き離そうと反射的に逃れる様に動いた。
魔王はその様子にも気付かず、手のぬくもりを手放したくなくて、欲に忠実な竜の精神は無意識に彼女を引き寄せた。
悲痛な叫びがあがったが、有無を言わさず抱きよせた。

他者の柔らかさに夢中になっていた竜が自身の軽率な行動が引き起こした事態に気が付いたのは、何時の間にか外に降りていた側近の男が急迫した様相で空間転移の準備の続きを始めたからだった。

「術は使わない予定では無かったか?」
「勝手ながら私の一存で使わせて頂きます。『現場』にこれ以上目撃者や痕跡を残すのは危険ですから――」




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