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あの婚姻の実態の暴露以降、リンドヴルム魔王は私を避けているようだった。
黒竜が私の部屋を訪問しなくなってから、随分日が経っているのではないだろうか。
今まで以上に距離を置かれ、腫れ物に触るように扱われている感じがする。
昼間に用向きで訪問した側近にそれとなく尋ねたことがあった。
側近は魔王様は多忙な方ですから――と言ったきり、私の言葉にそれ以上の反応は示さなかった。
今目の前にいる猫はひとしきり私から魔王とのやり取りを聞き出し意味深けに目をくりくりさせると、
「ティトに興味なくなっちゃって部屋に来ないんじゃないの? 」
――と、無邪気に私に笑いかけた。
「……そうなの?」
「あれれぇ? 冗談なのに本気にしちゃった?」
「……」
ごめんねっと言ってキットン・ソックスは給仕作業を続けながらペロッと小さく舌を出した。
キティは私のティーカップにお茶を注ぐと、お詫びと言っていつもより多めに純白の砂糖を混ぜた。
茶道具一式やこの紅茶の缶も魔王が厚意で私に用意したものだ。
出来上がって差し出された紅茶を少し口に含む。
……せっかくの紅茶だというのに何だか味がわからない。
重たい鉛を飲み込んだような気分。
訪れぬリンドヴルムの事を考えると、何故こんなに心が沈んでしまうのだろう。
理解しあえるのじゃないか、意思を通ずる事ができるのではないかと錯覚したからだろうか。
それとも――自分の気持ちが解らない。
「ティトをこんなにも寂しがらせちゃうなんて、りんどーちゃんも隅には置けない色男だねー」
「……りんどーちゃん?」
「そこは気にしないで。僕に出来ることがあれば、こそっと手を打っとくから。僕はティトの味方だからね」
「ありがとうね、キティ。そのキラキラした目を見ると元気になるわ」
「ふふんっ! キットン・ソックスにお任せあれ! ……まぁ、ほっといても魔王その内にしれっと来るだろうし、ティトもあまり気にしちゃ駄目だよ?」
「ええ」
* * *
時刻は真夜中。
夜も更けた頃、私の部屋へ向かう聞き覚えのある蠢くような音が聞こえた。
独りの静かな時間にだけ聞こえる彼の足音とも言える音。
その音は部屋の前で止まった――が、それっきり入ってくる様子は無い。
「リンドヴルム魔王?」
戸の向こうに声をかけたが沈黙が続くだけだった。
不思議に思い近づいて、扉に自身の耳を当てる。
低く唸るような巨大生物の呼吸音が戸越しに聞こえる。
彼は戸口にもたれ掛かってでもいるのか、その音は妙に生々しく鮮明に聞こえる。
押さえつける様な、何かを堪えるような、どこか熱を帯びた息だった。
「大丈夫ですか、苦しまれています?」
「……」
「怪我をなさっているのですか? 悪い病気ですか!?」
「……違う」
戸の向こうで体調を崩す魔王の姿を想像したため、それを否定する言葉に安堵したが、
そういう彼の様子は尋常ではない。
「鍵を開けて部屋にこられないのですか?」
「今汝の顔を見ると自分が何をするか解らない――今度こそ汝を傷付けるかもしれぬ」
「……!?」
思わず戸口から身体を飛び退いてしまった。
私は不穏さに思わず身震いしそうになったが、ふと思い当たる事があり恐る恐る尋ねた。
「もしかして、酷くお酒に酔われています?」
「……今宵のアブサンはすこぶる質の悪い酒だった様でな」
「……」
「酌の途中で汝の事が心に絡みつき溢れ出した」
「心に……」
「我はこのまま自身から汝を遠ざけるつもりでいたのに、とうとう此処に来ずにいられなくなった」
「リンドヴルム魔王、やはり私を避けていたのですね。……私は無意識に貴方の気を損ねてしまうのですか?」
「違う――案ずるな」
「『今宵』も『あの日』も汝は我を怒らせてなど無い」
扉の下の僅かな隙間から何かを譲り渡された。
それは彼の身につけている竜用の大きく堅牢な『親鍵』だった。
「我は汝をもう傷付けぬ」
リンドヴルムは心情を吐露するかのように溜息をついた。
「あの日――差し伸べられた汝の手に、我はあまりにも悦び過ぎたのだ」
* * *
「あの日、醜き地を這いずり回る竜、欠陥だらけの我にも汝の手は等しく差し伸べられた」
「だが我は誰にも触れた事が無かった、誰かが我に触れた事も無い」
「他者に触れた事の無い竜が、他者の脆さを知る術なぞ有るものか……」
「血の通った暖かさ柔らかさ、何もかも尊かった汝は儚い存在だった」
「汝が死ぬのを、唯の我に触れた存在を失うのを恐れた」
「霊薬を持ってしても回復しきれぬ傷、我を見て怯える汝の姿、罪深き事をしたと後悔した」
「それでも汝を帰したくなかった」
「汝の記憶を小箱に仕舞い込むように抱いていようと思った」
「次第に部屋に慣れ、よく馴染んだ。我の贈物に喜び、我に無垢に笑顔を向けるになり、それに我は心底安堵し歓んだ」
「だが汝の部屋に訪れる度に、我は薄々自覚し目を背けていた影に怖れ始めた」
「我は我自身が思っている以上に汝に『好意』を抱いてしまっていると――」
「それを伝えれば汝は虫が這いずるような悪寒を覚えるかもしれない」
「まるで有無を言わさぬ告白というものだ」
「しかも一度己を殺めかけた異形の男の所願だ」
「剣を相手に突きつけて愛を告白する輩と我は何が違う?」
「汝への仕打ちが憤怒や憎悪でなく好意所以だったと言ったところで誰が解ろうか」
「絶望だった」
「我が竜ではなく非力で矮小な生き物の出生ならばと、乞願うほどに」
「富国の王に嫁ぐと従者から伝え聞いた時、我は汝の運命に義憤に駆られたのと同時に――」
「汝を此処に縫い留めておく理由が出来たことに、確かに暗い喜びを感じたのだ」
「終に実情を暴露した時、何も知らぬ汝が傷付く事を厭わず、王の鼻を明かしたと愉悦を感じた己自身に嫌気が差した」
「だから汝から見えぬ所に距離を置こうと」
「だのに」
「だというのに――」
「触れたい。抱きしめたい」
「唯温もりに触れるだけでもいい」
「我は汝に満たされたい――」
「それは叶わぬ夢想と知っているというのに」
「そんな自身が怖い」
「だからせめての我の切望だ」
「もう体裁は繕わぬ。ティト……! 頼む。此処に居てくれ……!」
* * *
壁越しに魔王の心中を吐露する声が聞こえる。
それはもう言葉でも無く、慟哭にも似た悲痛な叫びだった。
告白と呼ぶにはあまりにも無遠慮で乱暴な言動なのだろう。
でも姿は見えぬ彼は泣いていた。
私は――
①部屋の扉の鍵を開ける
②扉越しに落ち着かせる
------------------------------------------------------------------
【 部屋の扉の鍵を開ける 】
私は下を向くと鍵と呼ぶには大きい親鍵を見つめる。
魔王が肌身離さず身につけていたものだ。
そのまま鍵を両手で拾い上げると、無言で掲げて鍵穴に差込み回した。
無機質な音が戸の内側から鳴った。
「……!? ティト!? 汝は一体何をっ……!?」
呆気にとられた様な間の後、先ほどとはまた異なる狼狽する声が聞こえた。
「鍵は開けました」
「何と愚かな」
「……愚かではないです、私は」
「大丈夫、貴方は私を傷付けません。絶対に」
「……。汝は時に我に理解できぬ振る舞いをする」
「今扉を開けますから瘴気が入らないうちに早く中に」
「……解った」
巨大な身体が夜の闇から現れる。
黒い闇の様な竜は静かに部屋の中に入り佇んだ。
硝子や刃物の様な暗黒色の鱗で覆われていてもリンドヴルム魔王は私を傷つけない。
私はそれを確信していた。
淡い紫色の目元は拭えぬ涙の跡が滲んでいた。その表情はまるで痛みを堪える子供を思わせる。
彼は私が考えていたよりもずっと若い竜の個体なのかもしれないと、ふと思った。
一度そう感じてしまうと、この黒い竜が泣いている子の様で哀憐の情が湧いた。
「そのまま動かないで下さいね」
私は寝具の場所まで歩くと厚い毛布を羽織るように被り魔王の前に立った。
彼は私に触れることができないほど怯えてしまっている。自身の影にすら畏れるほどに。
「リンドヴルム魔王、……リンドヴルム……」
「……ティト?」
「布越しですが、これなら……」
私は毛布で包まれた背を向けて、リンドヴルムの比較的鱗の薄い胸部にもたれ掛かった。
リンドヴルムが固唾を飲み込んだのが解った。
竜の身体が強ばるのを布越しに感じた。
「何故汝は我に……?」
「有無も言わさず閉じ込めて、触れれぬから遠ざけて、自分本位に私を守ろうとしたり愛そうとする貴方への仕返し?……でしょうか?」
「……? ……全く理解出来ぬ」
「……えぇと。……実は私にも良く解らないのです。ただ簡単に答えの出た事に貴方は囚われている様な気がして」
「……そうか」
「人というのは暖かいのだな」
何かに吸い込まれて行く様に、恍惚とした様に魔王が呟く。
「竜は黒曜石みたいなのですね」
「抱きしめるのは……怖い」
「リンドヴルム……。では、このまま、身を委ねたままで」
「ああ」
暫くそうしている内に時間が過ぎた。
焦燥感に駆られ熱に浮かされた様だった魔王は落ち着きを取り戻し――
静かに回廊に続く夜の闇の中へ帰っていったのだった。
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【 扉越しに落ち着かせる 】
私はちらりと足元の鍵を見た。
リンドヴルム魔王はきっと私を傷付けないだろう。硝子や刃物の様な鱗で覆われていても。
――けれど今のリンドヴルムは酷く混乱している。
私の中の冷静な部分がそう私に囁いた。
今は扉越しに彼を説得して落ち着かせよう。
隔てられた壁。
竜と人との隔てられた障壁の様だともふと思った。
私は壁の向こうの魔王に囁くように、けれど届くように彼の名前を呼んだ。
「魔王……、リンドヴルム魔王」
「リンドヴルムで良い……」
「リンドヴルム……」
「どうした? 情けない我を嘲笑うか?それともとうとう愛想が尽きたか?」
「違います」
彼を刺激しない様に慎重に言葉を選ぶ。
「貴方は私を傷付けませんよ、大丈夫です」
「……そうであるな。ああ、無論そうだとも」
魔王は鍵の掛かった扉があるからと言いたげに、戸を爪でコツコツと鳴らし、自虐的に扉越しに響かせた。
「気持ちが落ち着きになるまでお話でもしませんか?」
「……」
「怒らせてしまったのではないと知って私は心底ほっとしました」
「……」
「誰にも触れず寂しい思いをするというのでしたら、きっと何か別の方法で解決する道があると思います」
「……」
「抱きしめたり握り締めたりする練習をする……とか?」
「……」
「あ! ……毛布! 布団はどうでしょうか? 私が包まれば鋭い鱗もきっと平気ですよ?」
「……」
「汝は……どこまでも我に優しいのだな、本当に……」
沈黙の後、魔王は困惑するように呟いた。ほんの少しだけ笑った様にも感じた。
その声に先ほどまでの重苦しいほどに張り詰めていた雰囲気は無い。
「大人しくて、すぐ消え去ってしまう様な存在だというのに、縋ってしまいたくなる」
けれどもどこか切なげで儚い声だった。
「我を受容しようとした事、感謝する」
「リンドヴルム……」
「もう大丈夫だ。心を静めたら再度汝に詫びに来る――」
魔王は一先ず落ち着きを取り戻したらしく、去っていった。
* * *
翌日、側近の方が猫獣人を連れて部屋に訪れた。
部屋に置いたままの魔王の親鍵を回収しに来たのだ。
「この度は多大なご迷惑をおかけし申し訳ございません……。非礼このうえないことと謹んでお詫びを……」
何でもキットンがリンドヴルム魔王の酒に何か薬を入れてしまったらしい。
昨晩彼の様子が可笑しくなってしまったのはそのせいのようであった。
「薬品庫の管理者として、キットンの監督不行き届きでした……」
いつにも増して低腰だ。こちらが恐縮するぐらい平謝りする側近も珍しい。
コテンパンに叱りつけられたらしいキットン・ソックスが耳を伏せてシュンとしている。
罰のせいかいつもと異なる動きにくそうな格好をしている。
「僕としては愛のでんどーしとして恋の妙薬とやらを一服仕込んだだけだよ。……自白剤だったかもだけど」
「良く解ってないのに薬を盛ったのですか貴方は……」
「でも、魔王は色々すっきりしちゃったみたいで、僕のことあまり怒ってなかったよ!」
「反省してる様子ないじゃないですか、キットンさん。……寛容な魔王様の直下の者でなければ貴方はこれで総計44回程私に殺されてますよ」
「それいつも言うだけじゃんか!」
側近の方は私の視線に気付いたのか気不味そうにしながらも、逸れていた話を戻そうと私に話しかけた。
「酒そのものではなく白砂糖に混ぜたらしく……。薬で汚染された可能性のある砂糖を供する訳にはいきませんので姫様には代わりの物を用意させて頂きます。貴重な紅茶に入れる大変貴重な砂糖を駄目にしてしまって申し訳ございません」
「ああ……予算が」
側近は深い深いため息をつき誰に言うでもない素振りで呟いた。
【 魔王ルート3[泥酔と告白と] 】
あの婚姻の実態の暴露以降、リンドヴルム魔王は私を避けているようだった。
黒竜が私の部屋を訪問しなくなってから、随分日が経っているのではないだろうか。
今まで以上に距離を置かれ、腫れ物に触るように扱われている感じがする。
昼間に用向きで訪問した側近にそれとなく尋ねたことがあった。
側近は魔王様は多忙な方ですから――と言ったきり、私の言葉にそれ以上の反応は示さなかった。
今目の前にいる猫はひとしきり私から魔王とのやり取りを聞き出し意味深けに目をくりくりさせると、
「ティトに興味なくなっちゃって部屋に来ないんじゃないの? 」
――と、無邪気に私に笑いかけた。
「……そうなの?」
「あれれぇ? 冗談なのに本気にしちゃった?」
「……」
ごめんねっと言ってキットン・ソックスは給仕作業を続けながらペロッと小さく舌を出した。
キティは私のティーカップにお茶を注ぐと、お詫びと言っていつもより多めに純白の砂糖を混ぜた。
茶道具一式やこの紅茶の缶も魔王が厚意で私に用意したものだ。
出来上がって差し出された紅茶を少し口に含む。
……せっかくの紅茶だというのに何だか味がわからない。
重たい鉛を飲み込んだような気分。
訪れぬリンドヴルムの事を考えると、何故こんなに心が沈んでしまうのだろう。
理解しあえるのじゃないか、意思を通ずる事ができるのではないかと錯覚したからだろうか。
それとも――自分の気持ちが解らない。
「ティトをこんなにも寂しがらせちゃうなんて、りんどーちゃんも隅には置けない色男だねー」
「……りんどーちゃん?」
「そこは気にしないで。僕に出来ることがあれば、こそっと手を打っとくから。僕はティトの味方だからね」
「ありがとうね、キティ。そのキラキラした目を見ると元気になるわ」
「ふふんっ! キットン・ソックスにお任せあれ! ……まぁ、ほっといても魔王その内にしれっと来るだろうし、ティトもあまり気にしちゃ駄目だよ?」
「ええ」
* * *
時刻は真夜中。
夜も更けた頃、私の部屋へ向かう聞き覚えのある蠢くような音が聞こえた。
独りの静かな時間にだけ聞こえる彼の足音とも言える音。
その音は部屋の前で止まった――が、それっきり入ってくる様子は無い。
「リンドヴルム魔王?」
戸の向こうに声をかけたが沈黙が続くだけだった。
不思議に思い近づいて、扉に自身の耳を当てる。
低く唸るような巨大生物の呼吸音が戸越しに聞こえる。
彼は戸口にもたれ掛かってでもいるのか、その音は妙に生々しく鮮明に聞こえる。
押さえつける様な、何かを堪えるような、どこか熱を帯びた息だった。
「大丈夫ですか、苦しまれています?」
「……」
「怪我をなさっているのですか? 悪い病気ですか!?」
「……違う」
戸の向こうで体調を崩す魔王の姿を想像したため、それを否定する言葉に安堵したが、
そういう彼の様子は尋常ではない。
「鍵を開けて部屋にこられないのですか?」
「今汝の顔を見ると自分が何をするか解らない――今度こそ汝を傷付けるかもしれぬ」
「……!?」
思わず戸口から身体を飛び退いてしまった。
私は不穏さに思わず身震いしそうになったが、ふと思い当たる事があり恐る恐る尋ねた。
「もしかして、酷くお酒に酔われています?」
「……今宵のアブサンはすこぶる質の悪い酒だった様でな」
「……」
「酌の途中で汝の事が心に絡みつき溢れ出した」
「心に……」
「我はこのまま自身から汝を遠ざけるつもりでいたのに、とうとう此処に来ずにいられなくなった」
「リンドヴルム魔王、やはり私を避けていたのですね。……私は無意識に貴方の気を損ねてしまうのですか?」
「違う――案ずるな」
「『今宵』も『あの日』も汝は我を怒らせてなど無い」
扉の下の僅かな隙間から何かを譲り渡された。
それは彼の身につけている竜用の大きく堅牢な『親鍵』だった。
「我は汝をもう傷付けぬ」
リンドヴルムは心情を吐露するかのように溜息をついた。
「あの日――差し伸べられた汝の手に、我はあまりにも悦び過ぎたのだ」
* * *
「あの日、醜き地を這いずり回る竜、欠陥だらけの我にも汝の手は等しく差し伸べられた」
「だが我は誰にも触れた事が無かった、誰かが我に触れた事も無い」
「他者に触れた事の無い竜が、他者の脆さを知る術なぞ有るものか……」
「血の通った暖かさ柔らかさ、何もかも尊かった汝は儚い存在だった」
「汝が死ぬのを、唯の我に触れた存在を失うのを恐れた」
「霊薬を持ってしても回復しきれぬ傷、我を見て怯える汝の姿、罪深き事をしたと後悔した」
「それでも汝を帰したくなかった」
「汝の記憶を小箱に仕舞い込むように抱いていようと思った」
「次第に部屋に慣れ、よく馴染んだ。我の贈物に喜び、我に無垢に笑顔を向けるになり、それに我は心底安堵し歓んだ」
「だが汝の部屋に訪れる度に、我は薄々自覚し目を背けていた影に怖れ始めた」
「我は我自身が思っている以上に汝に『好意』を抱いてしまっていると――」
「それを伝えれば汝は虫が這いずるような悪寒を覚えるかもしれない」
「まるで有無を言わさぬ告白というものだ」
「しかも一度己を殺めかけた異形の男の所願だ」
「剣を相手に突きつけて愛を告白する輩と我は何が違う?」
「汝への仕打ちが憤怒や憎悪でなく好意所以だったと言ったところで誰が解ろうか」
「絶望だった」
「我が竜ではなく非力で矮小な生き物の出生ならばと、乞願うほどに」
「富国の王に嫁ぐと従者から伝え聞いた時、我は汝の運命に義憤に駆られたのと同時に――」
「汝を此処に縫い留めておく理由が出来たことに、確かに暗い喜びを感じたのだ」
「終に実情を暴露した時、何も知らぬ汝が傷付く事を厭わず、王の鼻を明かしたと愉悦を感じた己自身に嫌気が差した」
「だから汝から見えぬ所に距離を置こうと」
「だのに」
「だというのに――」
「触れたい。抱きしめたい」
「唯温もりに触れるだけでもいい」
「我は汝に満たされたい――」
「それは叶わぬ夢想と知っているというのに」
「そんな自身が怖い」
「だからせめての我の切望だ」
「もう体裁は繕わぬ。ティト……! 頼む。此処に居てくれ……!」
* * *
壁越しに魔王の心中を吐露する声が聞こえる。
それはもう言葉でも無く、慟哭にも似た悲痛な叫びだった。
告白と呼ぶにはあまりにも無遠慮で乱暴な言動なのだろう。
でも姿は見えぬ彼は泣いていた。
私は――
①部屋の扉の鍵を開ける
②扉越しに落ち着かせる
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【 部屋の扉の鍵を開ける 】
私は下を向くと鍵と呼ぶには大きい親鍵を見つめる。
魔王が肌身離さず身につけていたものだ。
そのまま鍵を両手で拾い上げると、無言で掲げて鍵穴に差込み回した。
無機質な音が戸の内側から鳴った。
「……!? ティト!? 汝は一体何をっ……!?」
呆気にとられた様な間の後、先ほどとはまた異なる狼狽する声が聞こえた。
「鍵は開けました」
「何と愚かな」
「……愚かではないです、私は」
「大丈夫、貴方は私を傷付けません。絶対に」
「……。汝は時に我に理解できぬ振る舞いをする」
「今扉を開けますから瘴気が入らないうちに早く中に」
「……解った」
巨大な身体が夜の闇から現れる。
黒い闇の様な竜は静かに部屋の中に入り佇んだ。
硝子や刃物の様な暗黒色の鱗で覆われていてもリンドヴルム魔王は私を傷つけない。
私はそれを確信していた。
淡い紫色の目元は拭えぬ涙の跡が滲んでいた。その表情はまるで痛みを堪える子供を思わせる。
彼は私が考えていたよりもずっと若い竜の個体なのかもしれないと、ふと思った。
一度そう感じてしまうと、この黒い竜が泣いている子の様で哀憐の情が湧いた。
「そのまま動かないで下さいね」
私は寝具の場所まで歩くと厚い毛布を羽織るように被り魔王の前に立った。
彼は私に触れることができないほど怯えてしまっている。自身の影にすら畏れるほどに。
「リンドヴルム魔王、……リンドヴルム……」
「……ティト?」
「布越しですが、これなら……」
私は毛布で包まれた背を向けて、リンドヴルムの比較的鱗の薄い胸部にもたれ掛かった。
リンドヴルムが固唾を飲み込んだのが解った。
竜の身体が強ばるのを布越しに感じた。
「何故汝は我に……?」
「有無も言わさず閉じ込めて、触れれぬから遠ざけて、自分本位に私を守ろうとしたり愛そうとする貴方への仕返し?……でしょうか?」
「……? ……全く理解出来ぬ」
「……えぇと。……実は私にも良く解らないのです。ただ簡単に答えの出た事に貴方は囚われている様な気がして」
「……そうか」
「人というのは暖かいのだな」
何かに吸い込まれて行く様に、恍惚とした様に魔王が呟く。
「竜は黒曜石みたいなのですね」
「抱きしめるのは……怖い」
「リンドヴルム……。では、このまま、身を委ねたままで」
「ああ」
暫くそうしている内に時間が過ぎた。
焦燥感に駆られ熱に浮かされた様だった魔王は落ち着きを取り戻し――
静かに回廊に続く夜の闇の中へ帰っていったのだった。
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【 扉越しに落ち着かせる 】
私はちらりと足元の鍵を見た。
リンドヴルム魔王はきっと私を傷付けないだろう。硝子や刃物の様な鱗で覆われていても。
――けれど今のリンドヴルムは酷く混乱している。
私の中の冷静な部分がそう私に囁いた。
今は扉越しに彼を説得して落ち着かせよう。
隔てられた壁。
竜と人との隔てられた障壁の様だともふと思った。
私は壁の向こうの魔王に囁くように、けれど届くように彼の名前を呼んだ。
「魔王……、リンドヴルム魔王」
「リンドヴルムで良い……」
「リンドヴルム……」
「どうした? 情けない我を嘲笑うか?それともとうとう愛想が尽きたか?」
「違います」
彼を刺激しない様に慎重に言葉を選ぶ。
「貴方は私を傷付けませんよ、大丈夫です」
「……そうであるな。ああ、無論そうだとも」
魔王は鍵の掛かった扉があるからと言いたげに、戸を爪でコツコツと鳴らし、自虐的に扉越しに響かせた。
「気持ちが落ち着きになるまでお話でもしませんか?」
「……」
「怒らせてしまったのではないと知って私は心底ほっとしました」
「……」
「誰にも触れず寂しい思いをするというのでしたら、きっと何か別の方法で解決する道があると思います」
「……」
「抱きしめたり握り締めたりする練習をする……とか?」
「……」
「あ! ……毛布! 布団はどうでしょうか? 私が包まれば鋭い鱗もきっと平気ですよ?」
「……」
「汝は……どこまでも我に優しいのだな、本当に……」
沈黙の後、魔王は困惑するように呟いた。ほんの少しだけ笑った様にも感じた。
その声に先ほどまでの重苦しいほどに張り詰めていた雰囲気は無い。
「大人しくて、すぐ消え去ってしまう様な存在だというのに、縋ってしまいたくなる」
けれどもどこか切なげで儚い声だった。
「我を受容しようとした事、感謝する」
「リンドヴルム……」
「もう大丈夫だ。心を静めたら再度汝に詫びに来る――」
魔王は一先ず落ち着きを取り戻したらしく、去っていった。
* * *
翌日、側近の方が猫獣人を連れて部屋に訪れた。
部屋に置いたままの魔王の親鍵を回収しに来たのだ。
「この度は多大なご迷惑をおかけし申し訳ございません……。非礼このうえないことと謹んでお詫びを……」
何でもキットンがリンドヴルム魔王の酒に何か薬を入れてしまったらしい。
昨晩彼の様子が可笑しくなってしまったのはそのせいのようであった。
「薬品庫の管理者として、キットンの監督不行き届きでした……」
いつにも増して低腰だ。こちらが恐縮するぐらい平謝りする側近も珍しい。
コテンパンに叱りつけられたらしいキットン・ソックスが耳を伏せてシュンとしている。
罰のせいかいつもと異なる動きにくそうな格好をしている。
「僕としては愛のでんどーしとして恋の妙薬とやらを一服仕込んだだけだよ。……自白剤だったかもだけど」
「良く解ってないのに薬を盛ったのですか貴方は……」
「でも、魔王は色々すっきりしちゃったみたいで、僕のことあまり怒ってなかったよ!」
「反省してる様子ないじゃないですか、キットンさん。……寛容な魔王様の直下の者でなければ貴方はこれで総計44回程私に殺されてますよ」
「それいつも言うだけじゃんか!」
側近の方は私の視線に気付いたのか気不味そうにしながらも、逸れていた話を戻そうと私に話しかけた。
「酒そのものではなく白砂糖に混ぜたらしく……。薬で汚染された可能性のある砂糖を供する訳にはいきませんので姫様には代わりの物を用意させて頂きます。貴重な紅茶に入れる大変貴重な砂糖を駄目にしてしまって申し訳ございません」
「ああ……予算が」
側近は深い深いため息をつき誰に言うでもない素振りで呟いた。