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【 猫ルート1[道化猫のお話] 】



むかーしむかーし。ちょっとだけむかし。
あるところにキットン・ソックスというおろかなねこがいました。
もともとはなかなかあたまのいいすぐれたこねこだったのです。

だからねこはなににでもなれたのです。
けれどもそのこはなににもなれませんでした。
それにきづいたときにはおそすぎました。

そんななか。
ざんねんなりゅうとまほうつかいがねこにじょげんしました。
いっそのことぐしゃをみとめてしまいなさい。
どうけしになってしまいなさい、と。
ねこはどうけしにうまれかわりました。


* * *


キットン・ソックスという猫は機会を奪われ続けた男だった。

猫獣人で奴隷という身分の明るくない生まれではあったが、彼は聡明であった。
感覚に優れており。器用であった。
商売の才能も、家事の才能も、音楽の才能も、曲芸師の才能も、技工の才能もあった。
もしかすると魔法使いの素質ですら持ち合わせていたかもしれない。
その位小さな身体の中に数多の人間と等しく何者にでもなれる可能性を秘めていたのだ。

伝え聞いた事によると、キットン・ソックスの父である執事キャット・ヘミングウェイも、母である家政婦ニー・ソックスも戸籍上奴隷階級の身の猫獣人であったにも関わらず人間の貴族に重用されるほどの能力が備わっていたという。
彼の所有者が、いっその事危険な優生思想を抱く者であったなら、彼の素質を期待し育て試す事もあったのかもしれない。
余談であるが、キットン・ソックスの後ろ足が6本指なのは父からの遺伝である。

けれども可愛らしい愛玩動物として、所有物として、貴族に親元から取り上げられた彼は。
散々に甘やかされ、情緒の育成や教育を受ける機会を奪われた存在となった。

キットンはごく限られた時間だけ、彼の母と面する事があった。
母は痛ましいものを見るような目でキットンを見つめたが、彼はその意味も解らず首を傾げたのだった。

少しばかり極上の無垢さを失い、子猫としては薹が立ち始めた頃、彼に妹が誕生した。

彼の妹は真珠の様な純白の体毛で、宝石を思わせる紅い瞳をした、人間から見ると申し分の無い完璧な容姿の持ち主であった。

彼女の存在はキットンの持つ薄い灰褐色の体毛を、焦げ茶色の瞳を、色あせたものに変えてしまった。
他者と比較をすると彼はありふれた風貌の持ち主であったのだ。

キットン・ソックスに向けられた寵愛は全て彼女に向けられる事となった。
彼女はその名前すらも彼から奪ったように感じるようなものだった気がするが、猫の記憶は朧気で定かでは無かった。

そんな状態が続いた後、助長し少々扱いあぐねるような性格の存在となっていた彼は嫉妬からとある事件を引き起こし、その後放り出される様に他所に売られた。
その時キットン・ソックスは生まれて2年にも満たない。人間の発達年齢に換算すると修学する直前頃の事だった。

それからは猫の人生は降り坂だった。
外見で気に入られ飽きられ捨てられて、そうして転々と下へ下へと転がり落ちた。
愛情の増減によって混乱に陥って歪んでいった性格が災いしたのかもしれない。
他人とトラブルを引き起こすことも多かったのだ。彼は。

国を幾つも跨ぎ蛮国の質の悪い奴隷商人の商材となった頃には見る影も無いほど薄汚れた存在となった。

優れた素質を天性の才として生まれた時から備わっていたにも関わらず。
人並み以上に出来る様な才能も、練度を重ねぬそれはいつしか得意なことでは無くなった。
何一つ才を活かすこともできず、彼はそのまま成長した。

キットン・ソックスという猫は機会を奪われ続けた男だった。


* * *


そんな猫にも機転の時は訪れた。

2年半ほど前の前蛮族の国。ローレスの血気盛んな市場。
奴隷商の持つ大きな建造物の部屋の隅。

その日キットン・ソックスは散々に痛め付けられ冷たく湿っぽい石の床の上で転がっていた。
辺りには同じく人間の奴隷が老若男女問わず枷を付けられて居たが気にする気力はとうに無かった。

彼がまとまった物を身に付ける事が出来なかったとは言え、目敏い者が見ると聡明な事には違いは無かったらしく。
彼の頭の良さに気付いた商人は彼に盗賊の手伝いの真似事をさせた。
買われてもすぐに突き返される事も多い彼に、間取りや家人のスケジュールを把握させ強襲の下調べをさせたのだ。

そんな中で彼は大きな失敗をしでかし、その罰として打ちすえられたのだった。
見せしめのためにこうして人目に付くところに置かれたのだ。

満身創痍の身体が、殴られた瞼が、嬲られた箇所が心の臓の様に熱を持って脈動している。
肩で息をするのも苦しく浅く呼吸をする。
死ななかったのはぎりぎりの所で加減をされたのかもしれない。
多少は成長したとはいえ、見てくれはか弱い子猫の姿だ。
売り物である所も考慮されたのかもしれない。
300年前に猫の国を亡った猫獣人は今となっては珍しい種族なのだ。
高値を叩き出すのはある種の性的嗜好を持つ好事家に好まれる雌であったりはするが。

酷く痛む身体を抱いて、キットンは己の生はこうして狭く固く閉じていくのだ、と。
他人事のように遠い所で絶望を感じながら腫れた目を閉じていった時。

「さあ、さあさあさぁ! リンドレクの国王様の、リンドヴルムの魔王様っ!! どうぞ中をそのままお進み下さいませましぃ! 我が奴隷商会の選りすぐりの商品達が手を振り足を広げ笑顔で魔王様をお迎えにっ! ほらほら見学だけとは勿体ない! 寄ってらっしゃい!買ってらっしゃい! 素敵な子達が笑顔でお出迎え~」

喧しく粘っこい奴隷商の声が響き、辺りが騒がしくなった。
石畳の上を大人数が歩く足音とズルズルと何か引きずる音が響いた。

「さあさ、おまえたち笑って、リンドヴルム魔王様に挨拶を」

聞き慣れた声の男が奴隷達に向け手をパンパンと鳴らしながら言葉を発していた。
キットンは何事かと腫れた瞼を薄く開け様子を探る。
この国の偉いと思われる人物とこの辺りを取り仕切る大商人の男。彼らの十人程の護衛が見えた。
そして異国の存在だろう大きな黒い影とその横に頭巾の男、数人の兵士がそこにいた。
先の商の長は漆黒の影に向け媚びへつらった態度を取っていたようだ。
影は炎の様に陽炎の様に輪郭が曖昧で。初めて見た猫はそれを薄気味悪く感じた。

しばしばこの国のお偉方は国賓を悪趣味なツアーに付き合わせ、こんな所に度胸試しに視察に連れてくる。
ここを取り仕切る男はとんちきな喋り方をしているが、有数の豪商で政治的にも裏の繋がりを持っているとも噂だ。

「我が商会は、ふれんどりぃをモットーに、お客様の特別なお友達との出会いのお手伝いをさせて頂いてるのです!彼らはこの国の産業の大きな一つでもある重要なものでして――」
すらすらと述べる奴隷商。なんとイケシャアシャアと恥ずかしげもなく口上垂れるものだと猫は感心すらした。

「リンドヴルム魔王。もし良ければ我が国との交友の証に一人買っては如何かな? 人間好きな友好的な竜だと聞いている。きっとお気に召すだろう」
「ぜひぜひ!ご贔屓にしてくださいリンドヴルム魔王様! 満足頂ける良い子が揃っておりますよ」
「……」
「僭越ながら魔王様の代わりに私めがご回答を。リンドレク国は生憎瘴気の溢れる国でして。特に城周辺は只の人である人間を連れて行くことが出来ません」

ローレスの統治者の男の言葉に、影の主に変わって横に佇む魔王の側近らしき男が身を乗り出した。

「君がいるような大丈夫な場所もあるのだろう? 何なら城とは別の安全な場所に置いておいても良いし、探せば耐性のある人間もいるだろうさ」
「ええ、えぇ。そうおっしゃらずに。より取り見取り色々と、取りそろえておりますからぁ」
「……はっきり申しますと、その様な買い物は望んではいません。人を売り買いするだなんて。魔王様は潔癖な方なのです」

仮面の男の言葉に場の雰囲気は些か不穏となった。
「なんだい、それは少々不躾じゃないか。彼らが汚いものだとでも? その発言は奴隷差別だと思わないかい?」
「……くっ」

蛮国の権力者は肩をすくめて、両手の手のひらを上に向け、酷い言い草に側近は口をつぐみ顔を伏せた。
この手のものの共犯意識とは時に強固な絆、鎹となる。
買わぬという選択肢は角が立つらしい。
猫には良く解らないが、どうやらこの場で奴隷の一つでも買わないとなるとそれなりに政治に影響も出るのだろう。

蛮族の国。蛮国、無法の町。ローレスと呼ばれる国は元々商人の多い国である。
焼け太りの国でもあるこの国は統治者含め権力者は武器商人や奴隷商の成り上がりが多い。
魔国リンドレクに次いで人間以外の知的種族も比較的多いせいか。
60年前の戦争終焉以降孤立しがちなリンドレクに物資を融通することも多い数少ない友好国でもある。
しかし隙を見せれば牙を剥く、信用ならない国家というのが大部分の人間の持つ印象だ。
人ですらも商品として見なされ、騙されたり誘拐された者はしばしば商材として扱われる。
混乱の多い戦後直後は勤勉なフォレストソイル人は恰好の標的となったとも聞く。

近年この大陸に戸籍が整備されたのは、世襲による奴隷制度が大陸に未だに存在させざるをえなくなったのは、主にこの国のせいであるとも言われる。
奴隷制度を持たざるを得なくなった事により、階級の成り上がりを封じてしまったのもまた本当の事である。

「ところで、あの隅の猫は何者か」

場の雰囲気をものともしない重圧のある低い声が揺らめく影から響いた。
キットン・ソックスは己にその影の見えぬ視線が向かっているだろう事に気付いた。
この部屋に猫獣人は横たえてる彼一人しかいない。
おそらく存在を忘れて、痛め付けた猫を隠し損ねたのだろう奴隷商の心の中の舌打ちが聞こえた。

「……あぁ。ええー。あれは猫獣人でして。まあ雄の方ですがね。いつもはもっと元気なのですがねぇー。今日はちょっとばかし仲間と騒がしくしたらしくて、疲れてますねぇー」

毛皮に覆われた身体だ。怪我が腫れ上がっているが切り傷は無く血は出ていない。
遠目から見るとぐったりとしているだけようにも見えると踏んだのだろう。

「……そうか」
じっと無言で見据えた後に興味を失ったとばかりの魔王の声が響いた。納得したのだろうか。
ほっとした商人は取り繕うように猫撫で声を出した。

「ここらは一般のお客様を招いている場所で些か庶民過ぎるやもしれませんねー。もっと綺麗に包装された花がお望みでしょうから、リンドヴルム魔王様には会員制の場所に、いまから特別に――」
「あれで佳い」
「はいぃ?」

「我にあの猫を寄越せ」

あれはとても珍しい種族でして。
まだまだ若い個体で上手くいけば軽く100年200年生きますよ、と。

上機嫌で猫獣人の値段を釣り上げていく奴隷商人と、言い値で頷く魔王達のやり取りを猫はじっと見ていた。
そして飽和しすぎて薄れた痛みの中、ぼんやりと思考した。

右腕の側近の男が嫌がった人間の売買を避け、場を収める言い訳として人間より下等な種族と見なした猫獣人の僕を買ったのか。
それとも。暴行されその場に打ち棄てられていると悟って助けたつもりなのか。
もしそうだとしたら、馬鹿な魔王。ああ、なんてお優しい。己より弱き者が好きな竜。
哀れみに値段なんて付けて。買うから需要というものはつくのだ。
きっと商人は味を占めて、故意に痛め付けられて同情を買わせるような奴隷が増えるだけだろうに、と。
どこまでもキットン・ソックスは聡明過ぎる猫だった。


* * *


リンドレク国に連れて行かれてからも、キットン・ソックスは所属をたらい回しにされて転々とした。
最終的にリンドレク出城にある魔導研究所の後、根城にあるリンドヴルム魔王の寝所に転がり込んだ。
黒竜が猫を連れてきた責任を取らされたのだ。
その頃には猫に対する悪評がどこかしこに充ちていたという。
逃げだそうとしただの、火薬庫で火遊びをしただの、故意に器物を損壊しただの、城内の地図を盗みだし出入りの商人に売り渡そうとしただの、エクストラ、エクストラ。
この国の最高権力者の魔王の所有物という事でなければあっさり殺されていただろう。

リンドレク根城の魔王の王座を抜けたその先の今はあまり使われぬ部屋の高い高い柱の上。
そこに悪戯がばれ籠城した猫獣人の下に魔王と側近が下から呼びかけ説得を試みている。

「猫よ、柱の上では話もまともに出来ぬ、我が竜の姿を恐れておると言うならば、影で隠しておくが」
「キットンさん、キットンさん。……キットン・ソックス、そこに隠れているのは解っているのですよ」

体毛の代わりに鱗を持つ犬のような小鬼、コボルド達が彼らに猫の居場所を告げ口したのだろう。
魔王はともかく、側近の男も犬嫌いのとの噂の割に犬面共から最低限の人望はあるらしい。
そういえば猫はコボルドの幼獣にちょっかいを出し激怒した彼らにリンチを加えられそうになり、見かねたこの頭巾男に助けられた事もある。
地の利のある地下の横道の狭い空間に逃げ込めなかったのは、そういう事である。

「……」
ふてくした猫は何も答えない。

「己への関心を渇望し、試し行動を引き起こし、他者を振り回す……汝は何がしたいのか」

一体己は何がしたいのだろうか。キットン・ソックスにも解らない。

「猫一匹まともに手懐けられない、馬鹿で弱っちい魔王と手下のくせに」

どうして周りは馬鹿ばかりなの。あんた達も含め馬鹿ばっかり。くだらない。
僕は知っているんだからねとばかりの猫の言葉に、竜は呆れたのか何も言わず、仮面の男が隙間の風の様なため息をついた。

「確かにキットンさんは、そこらの者よりも頭の良い猫かもしれません」
そうで無ければ大の大人が泣きたくなる様な悪質な遊戯も思いつかないでしょうに。
「けれど今の貴方は何者にもなれない生きていけぬ猫でしかありません。攻撃魔法を持たない魔法使いの私よりも、愚直なミノタウロスよりも、素直なコボルド達よりも無力な。別に貴方が奴隷の身分だからという訳ではないですよ」
「……」

「ヒトとして生きるためには今の貴方には何もかも足りない」
この猫は、未だ愛情を、信頼を、友情を、理解出来ない。権利も、義務も労働も理解しない。教育……彼は満足に文字すらまだ書けないのだ。

キットンは何かを感じ取ったのか柱の上から顔を覗かせ団栗のような瞳で二人を見下ろした。

「いっその事、己を愚者と認めてしまいなさい。馬鹿になって、恥をかいてしまいなさい。そして、そうして見聞を広げ視野を広げなさい」
「そうしたら、僕に自由をくれるってゆーの?」
「……」
「汝が何者であるか知ったときに。それでは解り難いか。そうであるな……汝が己自身の値段を己で稼いだ時に考えよう」

「汝がどれだけ愚かで馬鹿なことをしでかしても、許される職を我が汝に与えよう――」
猫はその日から道化師になったのだ。




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